国立大学法人法案は廃案にすべきだ
(平成15年6月6日)
大学が病んでおり、変革されなければならないことは1970年前後の大学闘争の中です
でに指摘されていた。現在国会で審議されている法案は、文部科学省の説明とは裏腹に、
いわば独裁的に大学を支配する集団の出現を可能にするものであり、欠陥法案と言わざる
を得ない。さらにこの法案は、人事、予算の配分を通じて、大学を文部科学省の完全な統
制下に置くことを可能にするものであり、「教育は不当な支配に服することなく、国民全
体に対して直接に責任を負って行われるべきものである」という教育基本法第10条に抵
触する結果をもたらすものである。
「国立大学法人法案」の特徴の一つは、人事・運営に関する権限の集中であり、1.運
営の中心が役員会(学長及び学長が任命する理事で構成)となる。2.自身を含め学長の
指名した者が大半を占める選考委員会で学長が決められる。3.監事2名は文部科学大臣
の指名で、必ず学外者が含まれる。という点にある。学長がひとたび選ばれると、学長及
びそのサポートグループの独裁制が強化され、かつ「世襲」的に学長が選出されることが
予想され、学長選考には教員の意見がほとんど反映されなくなる。また大学執行部は各部
局の代表ではなく、学長の指名したグループで形成され、理事や監事に文部科学省経験者
や前学長、役員会委員を委嘱できるので、文部官僚の天下りを助長する制度である。
次に、法案によれば、大学の運営は1.各国立大学法人等の中期目標は文部大臣が定め
る。2.国立大学法人評価委員会は文部科学省に置かれる。3.財務内容の改善が求めら
れ、大学債の発行などが奨励される。4.収支計画・資金計画を含む中期計画は、評価委
員会の意見に基づき文部科学大臣が認可する。という手順で行われる。つまり、大学の営
為そのものが文部科学大臣の指定するものとなり、大学はそれに従った計画を立案・実行
し、6年後その達成状況により予算の配分が決定される。すなわち、国策のための教育・
研究をやらなければ、予算が付かなくなることが起こり得、結果的に学問の自由は失われ
る。戦時中の統制経済が失敗したのと同様、統制的な教育・研究は大学を荒廃させるだけ
である。また、財務内容の改善のために、授業料が高騰することも予想され、国民がひと
しく高等教育を受ける権利が損なわれることが危惧される。さらに、評価は、文部科学省
に置かれるただ一つの評価機関によって行われるので、先の大学評価機関による試験的評
価において見られたように大学の画一化を招くことになる。
現在の大学の問題は、学長がリーダーシップを発揮できないのではなく、真のリーダー
の資質を持つ学長がいないことにある。「人の問題」は、いくらシステムを変えても解決
できないものであり、法案のように権限の集中を可能にすれば、リーダーではなくディク
テイターを創り出すだけに終わるであろう。戦後の学制の中で、大学の運営は不十分だが
それなりに民主化されていたが、この法案により、大学が封建領主制に逆戻りすることが
予想される。実際、昨年来各地の大学で先行的に行われている独立行政法人化への取り組
みを見てみれば、この危惧が現実のものとなっている。
大学は変わらなければならない、しかし現在審議中の国立大学法人法案は廃案にすべき
である。